Rati Caterers & Industrial Canteen India
インドから日本に続く極めて困難な特別な旅路
はじめまして。バンゲラズキッチンを運営しております、Rati株式会社の代表取締役バンゲラ・プラシャント・ノナッヤです。コロナによって私たちの日常は大きく変化し、飲食業界は窮地に立たされています。終わりの見えない日々に心も疲れてきた頃の最愛の母との別れ―。これを機に決意を新たにしたこの気持ちを忘れないよう、ここに記したいと思います。これからブログでは、私のこれまでの人生やどんな想いで起業したか、どんなお店にしていきたいかなど私の想いを綴っていきたいと思っています。そしてみなさまには食を通して少しでもインドの文化に親しんでいただけたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。
会社名でもあるRati(ラティ)は、私の母の名前ですが、年齢や関係性に関係なく誰もがアンマ(母親を意味する)と呼んでいました。
私にとって、母が全てでした。母のおかげで、これまでの人生を、正直に、そして、誠実に歩むことが出来ました。母は、私の最大の支援者であり、また最大の批評家でもありました。
一人息子である私は、男の子だからといって特別な扱いを受けることなく、4人の姉妹と同じように育てられました。正直、少し厳しいと思うこともあり、度々他の家庭と比較し不満を漏らしていました。
そんな母ですが、常に周りの人を助け、思いやりを持って接していました。他人を助けることが、回りまわって子供にも良い影響を与えると信じていたのです。
今思えば、母の愛情故の厳しさが私を形成し、人生における成功を手に入れることが出来たのです。母の「賢くなって欲しい」という思いが、愛情の裏に隠れていたのです。
その後、順調に進んでいた私の人生に悲劇が襲ったのは、大学1年生の時でした。父の急死。家計を賄う為にはまとまった収入が必要で、学生でありながら、パーティーやイベント、式典などに料理を提供する会社を設立しました。ビジネスの経験もない若い企業家にとっては、あまりに大きい事業でした。色々な壁にぶつかり、試行錯誤を繰り返し、想像以上に大変でしたが、多くの経験とチャンスをもたらしてくれました。そして何より、このチャレンジングなビジネスで大きな失敗をしなかったのは、母の強力で賢明なサポートのおかげでした。
また、先生方の協力により、大学を無事卒業できたことも、私にとってかけがえのない財産となりました。
日本で起業するまでに得た、私のもう一つのキャリアについてもお話ししておきましょう。がむしゃらに走り続けたインドでの起業に一区切りついた頃、高額な報酬、社会への影響、そして西洋の労働文化に惹かれた私は、IT業界へとキャリア転換しました。今後15年以上のキャリアとなっていくとはこの時は思ってもいませんでした。この業界で過ごした時間には幸せな思い出があり、そこから得たすべての経験と知識を今こそ最大限に活用したいと考えています。
インドでは苦い思いも経験した飲食での起業でしたが、同時に飲食業に対する愛が血肉となって私の一部となっていました。一度は離れた飲食業界ですが、いつしかその時の情熱が沸き上がり、私は恵まれた日本人の同僚や友人からの応援により、再び動き出したのです。私の人生に多大なる影響を与えた母。今でも母は常に私を天から導き、知恵を授け、進むべき道を示してくれます。そんな母の意志を心に刻み、そして守り続ける為に、社名に母の名前をつけました。Rati(ラティ)株式会社。この会社を通して社会に貢献し、母が誇りに思えるような会社に、この遠く離れた日本で成長させたいと思っています。
長くなりましたが、これが私と弊社の始まりのストーリーです。まだ設立4年の若輩者ですが、日本という高貴な素晴らしい人々と食を通して多くの交流がもてることを楽しみにしています。